僕達は「タツロー」を発見した
1979年の夏、僕達は「山下達郎」を発見した。貸レコード屋が流行りだした大阪で、僕達は「タツロー」を発見した。
時は大学時代、ちょうど2回生の夏だったと記憶している。夏休みに入ってバイトに勤しみ、お盆休みの期間は、大学時代の友人の実家にお邪魔するという、なかなか優雅な夏休みを送っていた。そんな夏のある日、地元に貸レコード屋がオープンしていて、早速、音源の調達に乗り出した。
そこで見つけたのが、山下達郎の『GO AHEAD!』(写真左)。ライブ盤を含め、山下達郎の4枚目のオリジナル盤である。リリースは1978年12月。僕達がこの『GO AHEAD!』を発見したのが1979年の夏だから、リリースされてから約半年経っての「出会い」であった。
山下達郎の名前は、音楽雑誌やFM放送で知っていた。が、まともに聴いたことは無かった。伝説のソフトロック・グループ「シュガーベイブ」を主宰していたことも知っていた。が、まともに聴いたことは無かった。というか、山下達郎は大阪では全く受けが悪かった記憶がある。当時、大阪は浪花ブルース・ロックの時代。「東京のお洒落なソフトロックなんか、なんぼのもんじゃ」という雰囲気だった(笑)。
さて、この貸レコード屋で発見した、山下達郎の『GO AHEAD!』の最初の印象は「なんや、このジャケットは」。確かに、このアルバムのジャケットは趣味が良くない。このジャケット・デザインでヒットを狙おうということ自体、間違っている様に思える。しかし、そこは「貸レコード屋」でレコードを借りる、という気安さで、このアルバムを借りた。
早速、家でカセットにダビングである。ダビングしながら、タツローの『GO AHEAD!』を聴き始める。冒頭の「OVERTURE」のソウルフルな多重録音のコーラスに耳を奪われる。そして「LOVE CELEBRATION」が流れる。ソウルフルなファンキー・チューンだが歌詞が英語で、「潔くないなあ」と舌打ちする。さすがに東京のお洒落なソフトロックやなあ、と諦めかけた時に、次の曲が「おおっ」という感じだった。
3曲目の「LET'S DANCE BABY」で、いきなりひっくり返る。なんや、この曲。ファンキーでポップ、8ビートに良く乗った日本語の歌詞、むちゃくちゃ格好良い曲である。むむむ、東京もやるやんけ、と思いながらの「MONDAY BLUE」を経ての「ついておいで (FOLLOW ME ALONG)」を聴いて、思わず椅子から転げ落ちる。このビートの効きまくったファンキー・ロックはなんなんだ。
「これは大変一大事」と、このダビングほやほやのタツローの『GO AHEAD!』を持って友人宅へ走る。そして、友人にこの『GO AHEAD!』を聴かせる。反応は僕の時と同じ。「LET'S DANCE BABY」で、いきなりひっくり返り、「ついておいで (FOLLOW ME ALONG)」を聴いて椅子から転げ落ちる(笑)。
史学徒であった僕達は、この山下達郎の『GO AHEAD!』を聴いてひっくり返った。「LET'S DANCE BABY」で、いきなりひっくり返り、「ついておいで (FOLLOW ME ALONG)」を聴いて椅子から転げ落ち、そして、LP時代のB面の1曲目の「BOMBER」を聴いて「参りました」(笑)。続く「潮騒」の落ち着いたポップなバラードに心惹かれ、そして、ラストの「2000トンの雨」の "Wall of Sound" に打ちのめされるのだ。
1979年の夏、僕達は「山下達郎」を発見した。大阪ではまだまだ珍しかったと思う。大学の行きつけの喫茶店で、大学の研修室の休憩時間に、この山下達郎の『GO AHEAD!』を流しまくった。1979年の夏から秋の印象的な音と言えば、この山下達郎の『GO AHEAD!』。
このアルバムを発見したお陰で、「東京のソフトロック」への偏見が無くなり、以降、僕達はその「東京のソフトロック」へドップリとはまっていくのだ。
最近のコメント