チューリップ

2020年4月22日 (水)

チューリップ『Take Off -離陸-』

1970年代前半、日本のミュージックシーンには、ニューミュージックというジャンルも、Jポップというジャンルも無かった時代に遡る。その頃、日本の高校生が趣味として聴く音楽は、気の利いた優等生的な若者が聴く音楽がフォーク、ちょっと不良っぽく振る舞っていた若者が聴く音楽がロック、と大別されていた。

しかし、当時、高校生だった僕は、アコギ中心で何となく大人しい日本のフォークや、エレギで大音量でギンギン引きまくり、ボーカルが叫びまくる日本のロックはあんまり好きでは無かった。僕が所属していた映画研究部(略して「映研」)全体の風潮もそうだった。よって、部室では、海外のロック、英米のプログレやグラムロック、ハードロックばかりが流れていた。

そんな状況の中、ある日突然、プログレが高らかに鳴り響く、我らが映研の部室に『TULIP(チューリップ)』という名の日本のロック・バンドのLPが持ち込まれた。当時、アイドル系バンドとして売れていた日本のロック・バンドである。当時、我が映研においては、あり得ない暴挙である。一同騒然「先輩、どないしたんですか」、僕達はひっくり返った。

そもそも、我らが映研にチューリップのLPが持ち込まれたのは、先輩のつきあい始めた彼女がチューリップのファンで、行きがかり上、チューリップのアルバムを聴かなけれねばならない羽目に陥ったからである。その時、持ち込まれたチューリップのアルバムが『Take Off(離陸)』(写真左)。

つまり、僕は先輩の恋の事情に巻き込まれて、チューリップを耳にした訳である。その当時、チューリップは『夏色の想い出』や『銀の指輪』でスマッシュヒットを飛ばしており、ビートルズ・フレイバーのアイドル系バンド的な印象が強かった。そんな状況下での、この『Take Off(離陸)』である。あまりよろしく無い先入観を持って、それでも、しゃーないなあ、という緩いノリで、LPに針を落とした(注・当時はレコードプレーヤー)。
 
 
Take-off-tulip
 
 
冒頭の表題曲「Take Off」のイントロ。「ダッ、ダッ、ダッ、ダッ、・・・・」とドラムの音、ギュワーンとギターの唸り、滑り込んでくる英語の歌詞。格好良いではないか。耳に新鮮な音がいきなり飛び込んできた。そして同時に「どこかで聴いた音だ、どこかで感じた音だ」。そう、この格好良いリズム&ビートは、ビートルズの音の雰囲気だった。

短くて格好良い1曲目「Take Off」を経て、2曲目「明日の風」。ビートルズ風のあか抜けたアレンジに乗って、当時、アイドルだった姫野さんが、甘いボイスで唄う。3曲目は「そんな時」。当時、珍しかった12弦ギターの音が清々しい。どの曲もビートルズのフレイバーを様々にアレンジして、唯一無二のチューリップ・サウンドがてんこ盛り。

10曲目には、チューリップの名曲として名高い「青春の影」。シングルカットされたバージョンと違って、ストリングス控えめのシンプルなアレンジ。こちらの方が僕は好きです。そして、個人的にとても好きなメドレー「悲しみはいつも〜ぼくは陽気なのんきもの〜笑顔をみせて」。

今でもこれらの曲を聴くと、あの頃の風が頭の中を吹き抜けて、セピア色の懐かしさに包まれる。しかし、誤解する事なかれ。懐かしさだけで、このアルバムを評価している訳ではない。この盤の「古さを感じさせない曲の構成」「ビートルズ・フレイバーを活かした垢抜けた曲作りとアレンジ」は、チューリップというバンドの実力として十分に評価出来る。しかも、これらを彼らは1974年に、既に自らのものとしていたことに驚きを感じる。

確かに音は少し古びているかもしれない。アレンジも稚拙な部分があるかもしれない。それでも、ここにはそれらを補って余りある、今の時代にも通用するアルバムコンセプトと音作りがある。チューリップの代表的名盤として、Jポップの古典的名盤として、お奨めできる内容である。当時、日本のロック雑誌の権威、ミュージック・ライフ誌の「ベストアルバム・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたのも頷ける。

このあと、チューリップは、ビートルズ・フォロワーとしての総決算アルバムとして『僕が作った愛のうた』をリリースの後、レコード会社に押し付けられていたロック・アイドル路線と訣別し、チューリップ自身のオリジナリティーとサウンドを求めて、長い長いチャレンジの旅に出ることになる。
 
 
 
東日本大震災から9年1ヶ月。忘れてはならない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
 
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チューリップ 『TULIP BEST』

「この曲が売れなかったら福岡に帰る」。そんな悲壮な決意の中、1973年4月20日にリリースしたシングル「心の旅」が1973年9月10日付のオリコンシングルチャートで1位を獲得した。一躍、チューリップは「時の人」になる。

そんな背景の中でリリースされた『TULIP BEST』(写真)。1973年6月5日のことである。面白いのは、この「心の旅」のヒットに乗じて、急遽、アルバムをリリースする必要に迫られて作成された「急造ベストアルバム」では無く、「心の旅」がヒットの兆しを見せたタイミングで発売された「用意周到なベストアルバム」なんですね。いかにもチューリップらしい仕業です。

このアルバムはタイトルを見て判るように、先にリリースされた、ファーストアルバム『魔法の黄色い靴』、セカンドアルバム『君のために生まれかわろう』の2枚からの選曲と、新たに「僕のお嫁さん」「道化者」「二人で山へ行こう」を加え、シングルでリリースされた「心の旅」とそのB面「夢中さ君に」を合わせた「変則ベストアルバム」です。

ベストアルバムとは言っても、先にリリースされた2枚のオリジナルアルバムからの選曲も良好で、しかも、LPのA面、B面と曲の並び順も考えられたもので、ベストアルバムとは言いながら、これはこれで、オリジナルアルバムと同等、若しくはそれ以上のクオリティが素晴らしく、僕は、このベストアルバムについては、オリジナルアルバムと同等の扱いをしてきました。
 
 
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当時の大ヒット曲「心の旅」から、この「ベスト盤」は始まる。いきなりサビのコーラスから入る、当時としては斬新な構成を持った曲ではあったが、その頃のチューリップの音世界からは、ちょっと異質な聴き心地がする曲だったことは事実。その曲を一曲目に持ってきて、聴き手に「ガツン」と一発かまして、従来の「チューリップ・ワールド」に引きずり込んでいく。

2曲目以降、オリジナルアルバムからの再掲曲も新しく書き下ろした曲も、ひとつの「チューリップ・ワールド」の中で、どの曲も違和感無く繋がっている。特に、LP時代のA面を占める「心の旅」「僕のお嫁さん」「道化者」「二人で山へ行こう」「風よ」「千鳥橋渋滞」の流れは素晴らしく、僕は今でも、前奏から間奏、エンディングも含めて、このA面の曲の全てを口ずさめる位、当時、本当に良く聴き込んだものだ。

とは言え、B面の「魔法の黄色い靴」「一人の部屋」「夢中さ君に」「君のために生まれかわろう」「田舎へ引っ越そう」「電車」の流れも捨てがたい魅力が溢れてはいるのですが、ラス前の「田舎へ引っ越そう」とラストの「電車」の2曲の据わりが、僕にとってかなり違和感があって、ラス前、ラストの曲なので、もう少し、盛り上がって大団円、という感じのメリハリのある曲を持ってきて欲しかったな。

良い選曲のアルバムで、先にリリースされた2枚のオリジナルアルバムの存在を知らない方々にとっては、このベストアルバムは、完全にオリジナルアルバムに感じると思います。それほどまでに良く出来た「用意周到なベストアルバム」です。この『TULIP BEST』に収録された曲は全て好きですが、特に「僕のお嫁さん」「千鳥橋渋滞」「魔法の黄色い靴」と、「道化者」〜「二人で山へ行こう」のメドレーがお気に入りです。
 
 
 
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2020年4月 1日 (水)

チューリップのセカンド盤の個性

このアルバムは、チューリップ・マニアにとっては「原点」の様なアルバムである。デビュー盤『魔法の黄色い靴』から、僅か半年後に発売されたセカンドアルバム。当時はなかなか手を出せなかったなあ。このジャケット写真がなあ。なにか「こっ恥ずかしくて」、レコード屋のカウンターになかなか持っていけなかった。高校時代の僕には、大変勇気がいることでした、このアルバムを購入するのは・・・。いつも通っていたレコード屋では無くて、となり駅のレコード屋まで、わざわざ買いに出かけたなあ(笑)。

『君のために生れかわろう』(写真左)。1972年12月20日のリリース。といっても、僕はこのアルバムはさすがにリアルタイムには聴いていない。耳にしたのは、その3年後、高校2年の冬。前述の様に、購入までに「相当な躊躇いの時間」があった。

このセカンド盤は、全13曲でありながら、トータルの収録時間は30分弱。LPのA面、B面それぞれで15分弱とかなり短い。デビュー盤から僅か半年での制作が故、曲のアレンジや構成に時間をかけることが出来なかったと思われる。今では考えられない制作スパンである。故にかなりの「急造アルバム」ではある。が、それぞれの曲については、チューリップの「音」を構成する様々な「個性のパーツ」が、宝石の原石の様に加工されないそのままのイメージで、そこかしこに転がっている。

チューリップというバンドの個性、特徴を感じ取るには、格好なのオリジナル盤で、デビュー盤『魔法の黄色い靴』では、当時の様々な洋楽の要素がごった煮で入っていたが、このセカンド盤では「ビートルズ的な音の要素」をしっかりアレンジして、チューリップの個性に反映させている。練られていない部分、未消化な部分もあるにはあるが、概ね、成功裡にチューリップの個性の一部として反映されている。見事である。
 
 
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チューリップマニアからすると、このセカンド盤は、絶対に外せない「キーとなるアルバム」であるが、当時、このセカンド盤のセールスは全く芳しく無かった。加えて、このアルバムからシングル・カットされた『一人の部屋』についても同様。特に、このシングル・カットされた「一人の部屋」は、今の耳で聴いても傑作だと思うんですがね〜。曲全体のアレンジがちょっとシンプル過ぎるのが、売れなかった原因かな。

このセカンド盤のリリースは1972年。日本の音楽界は、歌謡曲とフォーク・ソングの時代。もしくは「ビートルズが絶対的存在」の時代。このチューリップの様な「ビートルズ的な音の要素」を積極的に織り込んだのフォーク・ロック&ポップ・ロックは「新しすぎた」のかもしれない。少なくとも、微妙にビートルズと距離を置きつつ、洋楽中心に音楽に親しんでいる輩でないと理解しにくかったかもしれない。

ビートルズ・マニアからすると、チューリップを聴くと、バッサリと「ビートルズのパクリやん」で終わる。そうやないんやけどな〜。ビートルズの要素に的を絞って、趣味良くしっかりアレンジして、チューリップの個性の一部として反映しているんやけどなあ。はっきり言うと、チューリップはビートルズの「パクリ」では無い。今では世の中にごまんといるフォロワーの1つではある。

この『君のために生れかわろう』というアルバムは、チューリップ・マニアとしての「踏み絵」の様なアルバムである。このアルバムが良ければ、チューリップ・マニアとして、以降ずっとチューリップを聴き続けるだろうし、このアルバムが気に入らなければ、チューリップから離れていく。それだけ、この盤は、チューリップの個性がシンプルに凝縮された盤だということ。逆に、チューリップ・マニアにはマストアイテムである。
 
 
 
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2020年3月15日 (日)

チューリップ『魔法の黄色い靴』

なにを隠そう、松和のマスターこと私は「チューリップ」のマニアである。「チューリップ」はバンド名。1972年にメジャー・デビュー。オリジナル・メンバーは、財津和夫 (vo, g, key), 吉田彰 (b), 安部俊幸 (g), 上田雅利 (ds), 姫野達也 (vo, g, key) の5人。「チューリップ」というと、ビートルズから影響を受けたメロディー・ラインとアレンジが特徴。

口の悪い方々からは「ビートルズのコピー・バンド」と言われております(笑)。メロディアスでポップな作風が特徴で、僕は単純にそこが好きです。洋楽の影を追いながらも、そこはかとなく日本的な情緒を加えているところがチューリップの「隠し味」。1973年の大ヒット「心の旅」を耳にして以来、チューリップはずっと好きなバンドのひとつ。特に、高校時代から大学時代にかけては、密かにチューリップ者として、アルバムを買い続け、聴き続けた。しかし、僕の周りには、チューリップ者はいなかったなあ。

同世代の間でも「心の旅」のヒットくらいでしかバンド名が思い浮かばない。よってアルバムを愛で、アルバムの魅力を語る友人は皆無。後に「サボテンの花」がドラマのタイアップ曲として、リバイバル・ヒットした時は、大いに溜飲が下がった思いがしたものだ(笑)。そんなチューリップのメジャー・デビューアルバムがこれ。まずはこのデビューアルバムを押さえなければ、チューリップは理解出来ない。

チューリップ『魔法の黄色い靴』(写真左)。1972年6月のリリース。当時のフォークロック・バンドのデビュー・アルバムとしては、なかなかに金のかかったもので、ダブル・ジャケット仕様に、ポスターなどが同梱されており、当時のレコード会社の期待度の高さが窺い知れる。確かに、このデビュー・アルバム、チューリップの個性がぎっしり詰まった、当時のJポップ・シーンには無かった、斬新でハイレベルでポップロックなアルバムであった。

冒頭のタイトル曲であり、デビュー・シングルでもあった「魔法の黄色い靴」が素晴らしい。この曲をFMで耳にしたのは1974年。荒井由実の ポップな曲が流れ始めている中で、この「魔法の黄色い靴」も流れていた。それまでに聴いたことが無い、しかし耳当たりの良い「コード進行」、それまでのフォーク・ソングには無い「歌い方」、新しい響きを湛えた「コーラス」。今の耳で聴いても「この曲」は斬新。フォークロックの名曲である。
 
 
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2曲目の「あいつが去った日」より「千鳥橋渋滞」「ハーモニー」「おいらの気楽な商売」「私の小さな人生」と、LP時代のA面を占めるフォーク・ロックの好曲。当時のJポップ・シーンには無かった、洒落ていてポップ度の高い曲ばかりで、1970年代前半のフォーク・ソング全盛時代においては、かなり浮いた存在だった。この「洒落ていてポップ」なところがチューリップの個性。これが良い。

まだ1970年代前半は、録音の機材や録音方法も発展途上の時代、アレンジなどもテクニック不足。よって、演奏全体の雰囲気は地味で洗練されておらず、演奏の完成度はちょっと低いが、それをカバーして余りある曲のユニークさと斬新さが素晴らしい。

LPのB面の「もう笑わなくっちゃ」「言葉が出ない」「思えば遠くへきたものだ」「どうして僕は淋しいんだ」「風」の流れも、チューリップ・マニアには堪えられない内容なんですが、A面に比べると、ちょっと「力尽きた」感はあるかな。アレンジにやっつけ感があって、演奏自体も荒さが目立つ。曲自体は良い出来だけに実に惜しい。それでも、チューリップの個性はハッキリと反映されている。

そして、ラストの「大魔法の黄色い靴」には聴く度に感心する。このアルバムのタイトル曲「魔法の黄色い靴」にオーケストラのアレンジを施して、チューリップのメンバー、そして、スタッフも交えての「大合唱曲」としてリプライズしているんだが、これが素晴らしい出来。これだけ、ストリングスのアレンジに耐える楽曲もなかなか無い。やっぱりこの「魔法の黄色い靴」は名曲なんだと痛く感心したのを昨日のことの様に覚えている。

チューリップ・マニア、いわゆる「チューリップ者」の方々にはマストアイテム。Jポップ、日本のフォークロックのマニアの方には一度聴いて頂きたいアルバムではある。デビュー・アルバムだから、出来はイマイチなのではと懸念しているのであれば、全く心配はいらない。チューリップのメンバーの個性がキラキラ煌めいていて、「チューリップ者」であれば、かなり楽しめる内容である。
 
 
 
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2019年9月 1日 (日)

チューリップ『Live!! Act Tulip』

チューリップというバンドが好きである。財津和夫 (g, key, vo), 吉田彰 (b, vo), 安部俊幸 (g, vo), 上田雅利 (ds, vo), 姫野達也 (key, vo) の5人組。当時トレンドだった、博多出身のバンドである。ロックでもフォークでもない新しい音楽分野「ニューミュージック(Jポップスの草分け)」を開拓したバンドのひとつ(Wikipediaより)。そう、このロックでもフォークでもない新しい音が思い切り心に響いた。

そういうこともあって、僕が初めて自腹を切って買ったJポップのアルバムは、チューリップのライブ盤『Live!! Act Tulip』(写真左)。購入した時期はハッキリと覚えている。1974年9月。高校1年生の秋の始めの季節である。このライブ盤は、73年9月23日、渋谷公会堂で行われた初の単独ライブ、渋谷公会堂の動員記録を更新した熱狂のライブを収録したものである。

シングル「心の旅」がオリコンシングルチャートで1位を獲得したのが1973年9月10日。オリジナル発売日は1973年12月1日、チューリップの最初の絶頂期での発売である。いやはや、このライブ盤、これほど、客の歓声、叫び声が調整されていないライブ盤も珍しい(笑)。当時の熱狂感そのままに、女性ファンの黄色い声など、普通にステレオで音量を上げて聴いていると、気恥ずかしくなる。購入当時、僕はまだ高校1年生。そりゃあまあ、恥ずかしかったですね〜(笑)。

最後の最後にファンの「もう死にそう・・」という声が入っていて、この部分には、あまりのリアリティに背筋がゾクッとしたものです。興味深いのは、当時のライブって、自分達の持ち歌に加えて、当時、流行っていた楽曲のカバーなんかを織り交ぜているんですよね。このライブ盤でも、ビートルズの「イエスタデイ」、サイモン&ガーファンクルの「4月になれば彼女は」が入っています。当時、オリジナルが最優先だった僕は、このカバーの存在が、どうしても好きになれなかった(笑)。
  
 
Live-act-tulip
 
 
さて、このライブ盤に収録された全12曲は以下の通り。前述のカバーの2曲と、1973年10月5日に「心の旅」の次のシングルとしてリリースされた「夏色のおもいで」(写真右)が目を惹く。ちなみに「夏色のおもいで」は、松本隆の作詞家デビュー曲。また、チューリップの楽曲の中でメンバー以外が作詞した唯一の曲でもある。
 
1. 夢中さ君に
2. 新しい地球を作れ
3. 早くおいで
4. 道化者
5. 二人で山へ行こう
6. 僕のお嫁さん
7. 心の旅
8. 思えば遠くへ来たものだ
9. イエスタデイ
10. 4月になれば彼女は
11. 夏色のおもいで
12. メドレー:夢中さ君に~魔法の黄色い靴~道化者~心の旅


オリジナル・アルバムよりピックアップされた楽曲は、どれも、オリジナルよりアップテンポだったり、力強かったりで、当時のチューリップは、ライブにおいても既に相当の実力を持っていた、ということが窺い知れる。今でも、オリジナル曲の演奏については、結構、気に入っている。死ぬまでに一度、自らの手でカバーしたいなあ、とぼんやり思っている(笑)。

しかし、このライブ盤の客の歓声、特に女性ファンの黄色い声については「閉口」するなあ(笑)。当時のチューリップは、完全にアイドル・グループ扱いされていますよね〜。しかし、この後、チューリップは自らの手で、このアイドル・グループ路線から訣別し、硬派なフォーク・ロック・バンドとして、独自の個性的な道を歩んでいくことになるのですが、その話はまた後ほど・・・。

ということで、このライブ盤はチューリップ・マニア向け。逆に、チューリップ・マニアであれば、このアルバムは、突っ込みどころ満載だし、感心するところも多々あるし、意外に楽しめます。
 
 
 
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