シティ・ポップ

2021年2月 9日 (火)

そしてタツローはメジャーになる

我がバーチャル音楽喫茶『松和』では、雨が降れば、雨の雰囲気に合ったアルバムを曲をかける。梅雨の季節であれば、梅雨の季節に合ったアルバムを曲をかける。これはジャズはもとより、1970年代ロック、1970年代Jポップでも同様である。

雨かあ、1970年代Jポップかあ、と思いを巡らせれば、必ず、山下達郎の「RAINY WALK」という曲が頭の中をよぎる。確かにこの山下達郎の「RAINY WALK」は「雨」にちなんで、よく聴く曲ではある。何故かな、と思ってよくよく振り返ってみたら、この「RAINY WALK」という曲は、あの山下達郎の大ヒット曲「RIDE ON TIME」のシングルのB面曲だったことを思い出した。

シングルの「RIDE ON TIME」(写真右)は、1980年5月のリリース。よって、1980年の梅雨の頃、この「RIDE ON TIME」と併せて、B面曲の「RAINY WALK」が、当時の僕達のヘビロテ曲だったのだ。この「RAINY WALK」という曲は、1980年9月リリースの山下達郎のソロアルバム『RIDE ON TIME』(写真左)に、再録音され、めでたく収録された。確かB面の3曲目と記憶する。

ちなみに、このシングルの「RIDE ON TIME」、日立maxellカセットテープの販促キャンペーンのタイアップソングとして大当たり。そのシングルを収録した、山下達郎の5作目のスタジオ盤『RIDE ON TIME』は大ヒットとなった。遂に、我らがタツローがメジャーになった瞬間であった。
 
  
Ride_on_time
 
 
よって、翌年1981年より、梅雨の季節の「山下達郎」として、このソロアルバム『RIDE ON TIME』は、6月〜7月によくかける。他の収録曲をみても、この『RIDE ON TIME』というアルバムは、内容的に6月〜7月の初夏から梅雨の季節に合った内容なのである。

冒頭「いつか(SOMEDAY)」のゆったりと歩くようなファンキーなリズムは初夏の雰囲気を漂わせ、B面冒頭の「夏への扉(THE DOOR INTO SUMMER) 」などは、タイトルからして、この季節にピッタリだし、当然、B面3曲目の「RAINY WALK」は梅雨の季節にピッタリの内容であり、雰囲気なのだ。

そして、A面のラスト、大ヒット曲「RIDE ON TIME」は、1980年5月から7月にかけて聴きまくった記憶から、どうもこの「RIDE ON TIME」という曲は、僕の頭の中では「初夏から梅雨時のヒット曲」という感覚があって、毎年、初夏から梅雨の季節に突如として聴きたくなるのだ。

とりわけ、LP時代のB面の「夏への扉(THE DOOR INTO SUMMER) 」から「MY SUGAR BABE」「RAINY DAY」の流れがお気に入りでよくかける。そして、キメの1曲は「RIDE ON TIME」。

「青い水平線を いま駆け抜けてく 研ぎ澄まされた 時の流れ感じて」
 
 
 
東日本大震災から9年11ヶ月。忘れてはならない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
 
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2021年1月22日 (金)

僕達は「タツロー」を聴き込んだ

学生時代に「山下達郎」を発見した僕達が、この「山下達郎」が日本のシティ・ポップを代表し、リードする存在と確信したアルバムが『MOONGLOW』。このアルバムは、僕がリアルタイムにタツローを経験した記念すべきアルバムで、リリース当時、とにかく思いっきり聴き込みましたね〜。

山下達郎『MOONGLOW』(写真)は、1979年10月のリリース。1979年の夏に『GO AHEAD!』を発見し、ファースト・アルバムである『CIRCUS TOWN』に遡った僕達は、当時、ニューアルバムである『MOONGLOW』リリースの報を知る。

当然、レコード屋に予約に走った。大阪のレコード屋では山下達郎はまだまだマイナーな存在。レコード屋の兄ちゃんに、相当に怪訝な顔をされたことを覚えている(笑)。

1979年10月の終わりだった。近くのレコード屋で『MOONGLOW』を入手。早速、ターンテーブルに載せる。当然、カセットテープへのダビングを平行して実施する。冒頭の「夜の翼 (NIGHTWING)」の多重録音ドゥーワップに感じ入る。この冒頭の1曲の雰囲気で、このアルバムは相当な内容であることを確信する。

2曲目「永遠のFULL MOON」が、格好良いのなんのって。山下達郎ミュージックの「完成形の1つ」がここにあった。シャープでライトなファンクネスが特徴の、米国では無い日本のポップ・ロックがここにあった。山下達郎のボーカルも格好良いし、バックのコーラスも格好良い。この曲は、当時の山下達郎の音世界を代表するものだ。
 
 
Moonglow  
 
 
3曲目「RAINY WALK」から4曲目の「STORM」は、ソウル・ミュージックを日本人の感性でリコンパイルした絶品。聴き心地満点。日本語がソウルのリズム&ビートにしっかりと乗っかっている。ソウル・ミュージックを下敷きにしているとは言え、決して、米国っぽく無い。日本人としての個性の上にしっかりと成り立っている。

LP時代のA面のラストの「FUNKY FLUSHIN'」が格好良い。タツロー印のダンス・ミュージック、タツロー印のディスコ・ソングである。『GO AHEAD!』の「BOMBER」の音世界を踏襲しているのは明らかだが、曲の出来としては、より洗練されている印象。ノリノリの名曲である。

そして、LP時代のB面を占める「HOT SHOT」から「TOUCH ME LIGHTLY」「SUNSHINE−愛の金色−」「YELLOW CAB」、ラストの「愛を描いて -LET'S KISS THE SUN-」までの音世界は、タツロー・ミュージックの完成形を見せつけてくれる。米国のソウル・ミュージックを下敷きにしながら、日本の歌謡ポップの個性をしっかりと織り交ぜて、キャッチャーなシティ・ポップを確立している。

ラストの「愛を描いて -LET'S KISS THE SUN-」は、日本航空の沖縄キャンペーンのCMソングとして、テレビから流れていましたね。いよいよ、タツローのブレイクの瞬間が訪れる前触れの様なタイアップ・ソングでした。皆、これ誰だ、って感じで、こぞって、山下達郎の名前を調べ始めていましたね。僕達はそれを「お前たち今頃か〜」なんて冷静に見てました(笑)。

この『MOONGLOW』は、山下達郎ミュージックの「完成形のひとつ」を聴かせてくれた傑作である。とにかく「格好良い」楽曲がズラリと並んでいる。1970年代の日本シティ・ポップの名盤の一枚としてもお勧めの一枚である。
 
 
 
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2020年10月 8日 (木)

僕達はタツローの源へ遡った

1979年の夏、「山下達郎」を発見した僕達は、山下達郎の『GO AHEAD!』を流しまくった。そして、山下達郎の「源」へと遡った。ミュージシャンの「源」と言えば「ファースト・アルバム」。「ファースト・アルバム」にこそ、そのミュージシャンの個性の原石があり、音楽的指向の源がある。

ということで、僕達は、山下達郎の「源」へと走った。山下達郎のファースト・アルバムと言えば『CIRCUS TOWN(サーカス・タウン)』(写真左)。1976年12月リリース。シュガーベイブを解散して、ソロ活動を開始した「タツロー」のファースト・アルバムである。

このアルバムは今の耳で聴けば、とても面白い構成をしている。LPでいうA面の収録曲とB面の収録曲で演奏の雰囲気がガラッと変わる。A面は当時の米国の先端を行くアレンジを採用しているのにも拘わらず、演奏自体のクオリティに最先端では無い「緩さ」というか、シャープさが足らない感じが漂う。

逆に、B面のアレンジは、A面に比べれば平易ではあるが、演奏自体の「活き」を比べれば、僕はB面に軍配が上がると感じている。言い換えると、B面は日本人らしいポップ・ロック風の演奏であり、A面は米国人らしいポップ・ロックの演奏だと感じている。

確かに、LP時代のA面とB面でアレンジと演奏は異なる。A面はニューヨークでの録音。ローラ・ニーロの『イーライと13番目の懺悔』のアレンジなどで知られるチャールズ・カレロにプロデュース&アレンジを託している。B面はロサンゼルスでの録音。サイター兄弟と山下自身によるアレンジで録音されている。ちなみにLP時代は、A面は「NEW YORK SIDE」、B面は「LOS ANGELES SIDE」と表記されている。
 
 
Circus_town_2
  
  
アルバム全体の音は、完全に山下達郎の音世界。ファースト・アルバムにして、山下達郎の個性が確立されているのにはビックリした。山下達郎の以降の活動は、このファースト・アルバムの音世界の個性を、如何に洗練し、如何に昇華し、如何に普遍的なものにしていくか、に殆どの時間が費やされた、と感じている。

しかし、このアルバムにまつわるエピソードを調べてみると、いろいろと問題があったみたいで、特に、バック・ミュージシャンの起用、曲のアレンジメント&プロデュースについては多くの課題があったようだ。確かに、アレンジについては、特にA面は良い感じなんだが、演奏がそれに追いついていない。B面は演奏レベルはA面と同等だが、アレンジが平易な分、演奏レベルのあらが目立たない。

総合的にまとめてみると、山下達郎の音の個性は確立されてはいるものの、様々な課題・問題点は山積しており、それが故に、このアルバムはあんまり売れなかった。マニアとして聴けば面白いアルバムなんだが、通常の音楽好きのリスナーからすれば、とっつき難いというか、とっかりが掴めないというか、ちょっと判り難いアルバムなのだ。

一般万民に「売れる」アルバムでは無いことは確かな内容ではある。しかし、この一般万民に「売れる」アルバムを作るコツを会得するのに、タツローはこのデビュー盤からライブ盤を含めて、合計4枚のアルバムを費やすことになる。ミュージシャン自身のセンスと趣味が最高であっても、「売れる」アルバムを作るコツを会得するには時間がかかるんやなあ、と変に納得してしまう、このアルバムの内容である。

でも、このアルバムのアメリカンな雰囲気が僕はお気に入りで、このファースト盤に出会って以来、35年に渡って、付かず離れずで聴き続けている。日本人のポップ・ロックとは評価し難いが、日本人が日本人ならではのポップ・ロックにチャレンジしたアルバムとしては十分に評価出来る内容ではある。
 
 
 
東日本大震災から9年7ヶ月。忘れてはならない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
 
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2020年9月 2日 (水)

僕達は「タツロー」を発見した

1979年の夏、僕達は「山下達郎」を発見した。貸レコード屋が流行りだした大阪で、僕達は「タツロー」を発見した。

時は大学時代、ちょうど2回生の夏だったと記憶している。夏休みに入ってバイトに勤しみ、お盆休みの期間は、大学時代の友人の実家にお邪魔するという、なかなか優雅な夏休みを送っていた。そんな夏のある日、地元に貸レコード屋がオープンしていて、早速、音源の調達に乗り出した。

そこで見つけたのが、山下達郎の『GO AHEAD!』(写真左)。ライブ盤を含め、山下達郎の4枚目のオリジナル盤である。リリースは1978年12月。僕達がこの『GO AHEAD!』を発見したのが1979年の夏だから、リリースされてから約半年経っての「出会い」であった。

山下達郎の名前は、音楽雑誌やFM放送で知っていた。が、まともに聴いたことは無かった。伝説のソフトロック・グループ「シュガーベイブ」を主宰していたことも知っていた。が、まともに聴いたことは無かった。というか、山下達郎は大阪では全く受けが悪かった記憶がある。当時、大阪は浪花ブルース・ロックの時代。「東京のお洒落なソフトロックなんか、なんぼのもんじゃ」という雰囲気だった(笑)。

さて、この貸レコード屋で発見した、山下達郎の『GO AHEAD!』の最初の印象は「なんや、このジャケットは」。確かに、このアルバムのジャケットは趣味が良くない。このジャケット・デザインでヒットを狙おうということ自体、間違っている様に思える。しかし、そこは「貸レコード屋」でレコードを借りる、という気安さで、このアルバムを借りた。

早速、家でカセットにダビングである。ダビングしながら、タツローの『GO AHEAD!』を聴き始める。冒頭の「OVERTURE」のソウルフルな多重録音のコーラスに耳を奪われる。そして「LOVE CELEBRATION」が流れる。ソウルフルなファンキー・チューンだが歌詞が英語で、「潔くないなあ」と舌打ちする。さすがに東京のお洒落なソフトロックやなあ、と諦めかけた時に、次の曲が「おおっ」という感じだった。
 
 
Go_ahead  
 
 
3曲目の「LET'S DANCE BABY」で、いきなりひっくり返る。なんや、この曲。ファンキーでポップ、8ビートに良く乗った日本語の歌詞、むちゃくちゃ格好良い曲である。むむむ、東京もやるやんけ、と思いながらの「MONDAY BLUE」を経ての「ついておいで (FOLLOW ME ALONG)」を聴いて、思わず椅子から転げ落ちる。このビートの効きまくったファンキー・ロックはなんなんだ。

「これは大変一大事」と、このダビングほやほやのタツローの『GO AHEAD!』を持って友人宅へ走る。そして、友人にこの『GO AHEAD!』を聴かせる。反応は僕の時と同じ。「LET'S DANCE BABY」で、いきなりひっくり返り、「ついておいで (FOLLOW ME ALONG)」を聴いて椅子から転げ落ちる(笑)。

史学徒であった僕達は、この山下達郎の『GO AHEAD!』を聴いてひっくり返った。「LET'S DANCE BABY」で、いきなりひっくり返り、「ついておいで (FOLLOW ME ALONG)」を聴いて椅子から転げ落ち、そして、LP時代のB面の1曲目の「BOMBER」を聴いて「参りました」(笑)。続く「潮騒」の落ち着いたポップなバラードに心惹かれ、そして、ラストの「2000トンの雨」の "Wall of Sound" に打ちのめされるのだ。

1979年の夏、僕達は「山下達郎」を発見した。大阪ではまだまだ珍しかったと思う。大学の行きつけの喫茶店で、大学の研修室の休憩時間に、この山下達郎の『GO AHEAD!』を流しまくった。1979年の夏から秋の印象的な音と言えば、この山下達郎の『GO AHEAD!』。

このアルバムを発見したお陰で、「東京のソフトロック」への偏見が無くなり、以降、僕達はその「東京のソフトロック」へドップリとはまっていくのだ。
 
 
 

東日本大震災から9年5ヶ月。忘れてはならない。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、ずっと復興に協力し続ける。
 
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