Ahmad Jamal『But Not For Me』
1950年代、マイルスが名指しで共演を望んだとか、レッド・ガーランドに彼の様に弾けと言ったとか、なんだか、華々しい経歴の持ち主であるアーマッド・ジャマル(Ahmad Jamal)。
「間」を活かし、弾く音を限りなく厳選し、シンプルな右手のフレーズと合いの手の様に入る左手のブロックコードが特徴のジャマルのピアノ。ビ・バップのピアノの真逆を行く、ハードバップ時代ならではの個性とアプローチ。
フロントを取れば、必要最低な音数で、シンプルに聴かせたいフレーズだけが浮かび上がる。バッキングに回れば、合いの手の様に入るブロックコードが、決して邪魔にならず、フロントに立った管楽器のフレーズを惹き立たせる。
1950年代、ハードバップ時代の先頭を走っていたマイルスにとっては、マイルスの演奏コンセプトにピッタリなピアニストであった。しかし、共演を望むも、ジャマルはこの帝王マイルスの申し出を断る。
後にその理由が判る。ジャマルは極度の飛行機恐怖症で、ニューヨークへ赴くために飛行機に乗るくらいなら、地元のシカゴのローカル・ピアニストで良い、と考えた。マイルスたっての申し入れも「飛行機の恐怖」には勝てなかったということか。
そんなマイルスの演奏コンセプトにピッタリなジャマルのピアノを愛でることが出来るアルバムが『But Not For Me』(写真左)。1958年1月16日、シカゴはThe Pershing Loungeでのライブ録音。ちなみにパーソネルは、Ahmad Jamal(p),
Israel Crosby(b), Vernell Fournier(ds)。
確かに、「間」を活かし、弾く音を限りなく厳選し、シンプルな右手のフレーズと合いの手の様に入る左手のブロックコードが特徴。なるほ
ど、これがマイルスの演奏コンセプトにピッタリなピアノか、と感心する。でもなあ。なんだか繰り返し聴いていると、このジャマルのピアノ、ジャズ・ピアノ
というよりは、カクテル・ピアノの趣に近い。
1950年代後半、まだ、ジャズピアノは芸術の一環として聴かれることは無く、ライブのジャズピアノは、酒を飲むBGMとして、カクテル・ピアノっ ぽく扱われていた時代。酒を飲むBGMとしては、必要最低な音数で、シンプルに聴かせたいフレーズだけが浮かび上がる弾き方は必須ではなかったか。酒を飲 むのに邪魔にならず、雰囲気を盛り立てるピアノ。
僕は、ジャマルの「間」を活かし、弾く音を限りなく厳選し、シンプルな右手のフレーズと合いの手の様に入る左手のブロックコードは、ラウンジで酒を飲むBGMとして、商売として、日銭を稼ぐための術ではなかったか、と思っている。
まあ、マイルスの感じ方はそうでは無く、マイルスは純粋に「芸術としてのジャズ」として、弾く音を限りなく厳選し、シンプルな右手のフレーズと合いの手の様に入るブロックコードを活かそうと考えたようなんだが・・・。
動機はともあれ、ジャマルの様にピアノを弾くジャズ・ピアニストは他にはいなかったのは事実。喧噪の様な、早弾きフレーズの洪水の様なビ・バップの ピアノの真逆を行く、弾く音を限りなく厳選した、シンプルな右手のフレーズと合いの手の様に入る左手のブロックコード。そして、バックのベーシストとドラ マーは無名ではあるが、堅実なバッキングを貫き通す。
これがジャマルのピアノ・スタイルとは言い切れないところが悩ましいところですが、マイルスが指摘した好ましい個性は、このアルバムで十分に堪能できます。カクテル・ピアノっぽいですが、良いピアノ・トリオ盤だと思います。
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