ウェストコースト・ロック

2024年1月 7日 (日)

Timothy B. Schmit『Leap of Faith』

今日などは爽やかな空気の上に、久し振りの快晴の朝。それだけ陽光麗しく、風が爽やかな日となれば「米国西海岸ロック」が聴きたくなる。僕はこの「米国西海岸ロック」の大ファンである。

米国西海岸ロックとは、特に1970年代、米国西海岸、ロスアンゼルス、サンフランシスコを中心に流行ったロックのこと。カントリー&ウエスタンやフォークなど、米国ルーツ・ミュージックをベースに、爽やかなコーラス、高テクニックの演奏が個性のロックである。

代表的なグループ、ミュージシャンとしては、イーグルス、ドゥービー・ブラザース、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーなどが挙げられる。

1970年代がピークではあったが、今でも米国西海岸ロックは生き残っている。若手によるフォロワーもいるし、1970年代に活躍したバンドのメンバーがソロになって、今でも活動を続けているケースもある。今日は、この後者のケースをご紹介する。イーグルス(Eagles)のベーシスト、ティモシー・B・シュミットの、7年ぶりの新ソロ・アルバムである。
 

Leap_of_faith 

 
Timothy B. Schmit『Leap of Faith』(写真左)。2016年のリリース。昨年のことにはなるが、ロサンゼルスにある自身のスタジオでレコーディングとのことで、あの米国西海岸ロックの雄、イーグルスのベーシストのソロ盤のリリース。何だか嬉しいでは無いか。

冒頭の「My Hat」を聴くと、ああ、このアルバムは間違い無く「米国西海岸ロック」なアルバムなんだなあ、と感じる。良い音だ。切れ味の良いフォーキーなロック・ビート、爽やかなコーラス、伸びと哀愁感のあるスチール・ギターの響き。明らかに西海岸ロックである。

どんどん聴き進めて行くと、カントリー&ウエスタン風だけでは無い、R&B、そして少しのレゲエ風な曲もあって、現代の「米国西海岸ロック」な内容に思わず聴き惚れてしまう。60歳代最後の年に出された音とは思えない。曲にもボーカルにも、渋さと深さが備わったとは言え、衰えは感じられない。

イーグルスの音を、そのまま洗練して「スティーリー・ダン」風に仕立て上げた様な音作りにも感じるし、1970年代、西海岸で活躍したフォーク・ロック・グループ「ポコ」の音を今風にした様でも音作りは実に魅力的である。いや〜、ティモシー・B・シュミット健在ってことが嬉しい。現在の米国西海岸ロックの好盤です。
 
 

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Timothy B. Schmit『Playin It Cool』

1970年代のアメリカン・ロックの一大潮流であった「ウエストコースト・ロック(西海岸ロック)」。カリフォルニアの爽やかな太陽と風を想起させる、カントリー・ロック風の爽やかなノリと、粋な兄ちゃん達の小粋なロック・ソングが特徴的。そして、美しいハーモニーが特徴の「ヴォーカル・ハーモニー」のフィーチャー。

Timothy B. Schmit『Playin It Cool』(写真左)を聴いて、懐かしの米国西海岸ロックに浸っている。このアルバムは、1984年のリリースなので、70年代ロックの範疇からは外れるのだが、その内容は、バッチリ70年代ロック、米国西海岸ロックの範疇に引っ掛かっている。

Timothy B. Schmitは、米国西海岸ロック伝説のバンド「ポコ」を経て、1977年、イーグルスに引き抜かれ参加。ランディー・マイズナーの後任という、ポコへの参加と同じ事情なのは、何か因縁めいたものを感じる。1979年発表のイーグルスの『The Long Run』で、Timothy B. Schmitは、かの名曲「I Can't Tell You Why」を提供している。でも、その後、イーグルスはあえなく一旦解散。

Timothy B. Schmitはソロに転身せざるを得なくなる訳だが、そのTimothy B. Schmitが、1984年に発表した初のソロ・アルバムが、この『Playin It Cool』。アップテンポなポップス調のナンバーからハードなナンバー、そして、スローなバラードまで、マルチ・タレントぶりを発揮していて、Timothy B. Schmitのボーカルも覇気が溢れ、なかなかの内容のアルバムに仕上がっている。
 

Tb_schmit_playin_it_cool_2

 
リズムは完全に1980年代ロック&ポップスで蔓延した、デジタル&打ち込み風で違和感があり、エコーもたっぷりかかっていて、どうもAORの影を追っているようで具合が悪いんだが、それぞれの楽曲の根幹は、70年代米国西海岸ロックにあって、そこを焦点に絞ると、このTimothy B. Schmitの『Playin It Cool』はなかなかに味わいがある。

70年代米国西海岸ロックのテイストを引きずった「80年代AOR的なサウンド」とでも表現したら良いだろうか。しっかりと引きずっている70年代米国西海岸ロックのテイストが魅力的に響く。

「So Much In Love」「Voices」「Take a Good Look Around You」「Tell Me What You Dream」などは、良い感じの楽曲。特に「Take a Good Look Around You」「Tell Me What You Dream」の2曲は、70年代米国西海岸ロックのテイストを引きずった「80年代AOR的なサウンド」という表現にピッタリ。タップリとかかったエコーとデジタル&打ち込み風のリズムは、ちょっと馴染めないのだが・・・(笑)。

イーグルスの再結成の際、ベーシストはランディ・マイズナーでないと、という評価もあったが、「One of These Nights」や「Hotel California」などのハードなギター中心の曲のバックで、根太で粘りのあるベース・ラインに関しては、Timothy B. Schmit のベースの方がシックリくる。イーグルスの全キャリアの楽曲を広く押さえるベースとしては、Timothy B. Schmitのベースも十分「あり」だろう。

僕は、1970年代ど真ん中ではない、1980年代に入ってからのソロ・アルバムに、Timothy B. Schmitの個性を感じる。1970年代の米国西海岸ロックを更に洗練した音楽性と彼の弾くベースは、まだまだ過小評価されているではないだろうか。しかしまあ、レトロなジャケット・デザインであることよ・・・(笑)。 
 
 

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Joe Walsh『But Seriously, Folks...』

これだけジメジメした梅雨空には、爽やかな音楽が良いですね。なんだか、1970年代ロックが聴きたい気分。爽やかなロックといえば、ウエストコースト・ロック。ウエストコースト・ロックのが聴きたい。ということで、今日はこれ。

Joe Walsh『But Seriously, Folks...』。邦題『ロスからの蒼い風』。1978年の作品。ちなみにパーソネルは、Joe Walsh (g, vo, syn), Jay Ferguson (key), Joe Vitale (syn, drums, perc, fl, vo), Joey Murcia (g), Willie Weeks (b)。以上がメイン・ユニット。他に、スチール・ギターやバック・ボーカルにゲスト参加がある。

ジョー・ウォルシュ(Joe Walsh, 1947年生まれ)。1969年にハードロック・バンド、ジェイムス・ギャングでデビュー。その後、バーンストームを結成し、ソロ活動後、1975年にイーグルスに加入。イーグルス解散後もソロ活動を継続している。

1994年にイーグルスが再結成後はイーグルスを中心に活躍中。幾つかのバンド遍歴があるが、ウォルシュについては、イーグルスの最後のギタリストという印象が強い。

さて、この『But Seriously, Folks...』は、そのジョー・ウォルシュの1978年のソロ・アルバム。本家イーグルスにとって、1978年と言えば、ウェストコースト・サウンドの到達点とも言える名作『Hotel California』のリリースと、ラスト・アルバム『The Long Run』のリリースの狭間にあたる。
 

But-seriously-folks  

 
いわゆる、非常に微妙な時期のリリースだった訳だが、そんな悩ましい雰囲気は微塵も感じられない、爽快な内容の、いかにもウエストコースト・ロックらしいアルバムである。

このジョー・ウォルシュのソロ・アルバムは充実している。イーグルスのアルバム、と言って良いくらい、ジョー・ウォルシュのソロ・アルバムでありながら、イーグルスの良い部分が溢れている。

イーグルスのメンバーも参加して、全面的にウォルシュをバックアップしており、この同一メンバーが参加して作ったイーグルスのアルバムが、どうして、『The Long Run』の様な、なんだか良く判らない、散漫な内容のアルバムになったかが判らないくらいだ。

これぞ、ウエストコースト・ロックって感じがとても心地良く、演奏内容も充実していて、このアルバムは、ジョー・ウォルシュの代表作の一枚だろう。どの曲も出来が良く、アレンジも良い。ウォルシュのこぶしの効いた歌い方が実に心地良い。

邦題の「ロスからの蒼い風」も、日本のレコード会社にしては良い部類。特に「蒼い」の部分が、当時、気に入っていて、よくいきつけの喫茶店で、友達に繰り返し語ったものだ。水中でご馳走を食べる感じの、色鮮やかなカヴァー・アートも良い感じ。このアルバム、イーグルス・ファンはもとより、ウエストコースト・ロックのファンの方々には、マストアイテムだろう。
 
 

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『Randy Meisner (1978)』です

ランディ・マイズナー(Randy Meisner)言えば、ウエストコースト・ロックの雄、イーグルスのオリジナル・メンバーの一人。ベース担当。1977年、ドン・ヘンリーとグレン・フライのイジメに遭い、イーグルスの中で居心地が悪くなったマイズナーは、1977年のコンサート・ツアー中に脱退。若干の休養期間の後にソロ活動を開始する。

『Randy Meisner(1978)』(写真左)。1978年の作品。ランディー・マイズナーには、自分の名前がタイトルになっているアルバムが2枚あって紛らわしいんだが(もう一枚は1982年リリース)、このソロ・デビュー・アルバムは、日本では『テイク・イット・トゥー・ザ・リミット』という邦題で発売されている。

このマイズナーの初ソロ盤、マイズナーのペンによる新曲はひとつも収められない、加えて、バックのサポート・メンバーは、名は売れていないが、腕の良いスタジオ・ミュージシャンが中心。J.D.サウザー、バイロン・バーライン、デヴィッド・キャシディー、ヴィクター・フェルドマン、マーティー・ペイチなど、有名なロック畑のミュージシャンと、一部、ジャズ畑のミュージシャンが参加しているところが「通好み」。

腕が良いのが演奏通じて判るくらい、バックのサポート・メンバーは充実していて、演奏自体はシンプルなんだが、味のある演奏で結構、良い感じ。このシンプルな演奏が、ロックの原点に戻っているようで、意外と聴き答えがある。ウェストコースト・ロックって、こういうシンプルな演奏の方が「らしく」て良い。
 

Randy-meisner_album

 
収録されたカヴァー曲は、意外にもR&B系の曲が多い。マイズナーの好みなんだろう。ドリフターズのヒットで有名な「Save The Last Dance For Me(ラストダンスは私に)」にはニヤリ。エリック・クラプトンが取り上げたことでも知られる「Please Be With Me」はとてもいいカヴァー。ジミー・ソウルのヒット曲だった「If You Wanna Be Happy」も良い出来。確かにカヴァー曲だけでも結構楽しめる内容になっている。

収録曲の中での最大の聴きものは、イーグルス時代のマイズナーの代表曲である「Take It To The Limit」の再演。この曲、イーグルスでの、ストリングスが分厚く荘厳で壮大なアレンジは、ちょっと「トゥー・マッチ」と感じていた。しかし、このソロ盤でのセルフ・カヴァーはピアノとアコギだけをバックにしたシンプルなもの。マイズナーも丁寧に感情を込めて唄い上げていて、しみじみと聴ける、感じ入る。

リリース当時、我が国のロック評論家筋では、アルバム自体の評価はあまり芳しいものでは無かったが、振り返って聴いてみると、そんなに酷い内容では無いどころか、ロックの原点に戻った様なシンプルな演奏は、本来のウェストコースト・ロックらしくて良い。

そんなシンプルな演奏と共に、マイズナーの「爽やかさと切なさが同居した味のあるボーカル」を楽しむことが出来る。 僕の中では評価の高い、ウェストコースト・ロックの佳作の一枚です。

 

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2024年1月 6日 (土)

イーグルス『Desperado』再聴

『イーグルス・ファースト』で最初の成功を収めたイーグルス。アルバム単独でチャートで22位。シングルとしては、「テイク・イット・イージー」(12位)、「ウィッチ・ウーマン」(9位)、「ピースフル・イージー・フィーリング」(22位)の3枚がリリース、それぞれトップ40に入った。

この結果を得て、リーダーのグレン・フライは、バンドとして「アーティスティック」なアルバムを作りたい、と考える。そして、ドゥーリン=ドルトン・ギャングをモデルに、西部開拓時代のならず者をテーマにしたコンセプト・アルバムを制作する。そして、このアルバムがイーグルスの代表作になることを期待した。

Eagles『Desperado』(写真左)。1973年の作品。ちなみにパーソネルは、Glenn Frey (g, vo; key, harmonica), Don Henley (ds, vo, ac-g), Bernie Leadon (guitars, vo, banjo, mandolin, dobro), Randy Meisner (b, vo)。バンド創設メンバー4人が継続。鉄壁の四人組。イーグルスの歴史上、一番充実した時期のメンバーである。

冒頭、いきなりスローテンポでムーディーな「Doolin-Dalton」から始まる。コンセプト・アルバムのモデル「ドゥーリン=ドルトン・ギャング」をテーマにしたバラード曲だが、イーグルスらしい、明るいリズミカルで爽快感のあるアップテンポの曲を期待していただけに、ちょっと肩透かし喰らう感じ。仰々しいロック・バラードで、肩に力が入っとるなあ、と感じる。

2曲目「Twenty-One」から、ベタなカントリー・ロックになって、3曲目の「Out of Control」は、ハードなカントリー・ロックになる。この2曲、あまりにベタなカントリー・ロックと、イーグルスの特徴である「ちょっと中途半端」にハードなカントリー・ロックの連続で、思わず「ムムム」となる。
 

Eaglesdesperado  

 
しかし、4曲目「Tequila Sunrise」でホッとする。この曲は名曲。リリース当時は評価されなかったみたいだが、この曲は名曲。曲想もアレンジもコーラスも、イーグルスの良い個性が全て入っていて、とても良い。ただ、インパクトに欠けるソフトな曲調でシングル向けでは無い。チャート64位に留まった。

5曲目はタイトル曲「Desperado」。後に、リンダ・ロンシュタットやカーペンターズ(邦題「愛は虹の色」)等にカバーされた佳曲。ムーディーなスローバラードではあるが、カントリー・ロックっぽさは皆無。良い曲ではあるが、ロックでは無い。しかし、他のミュージシャンにカヴァーされている佳曲ではある。シングル・カットされていないのは意外だった。

続くB面はイーグルスらしさを取り戻している。ランディがメインの「Certain Kind of Fool」、デヴィッド・ブルーのカヴァー「Outlaw Man」、イーグルスの個性満載、アコースティックで牧歌的な「Saturday Night」、バーニーがメインの「Bitter Creek」。ただ、当初の「西部開拓時代のならず者をテーマにしたコンセプト」から外れている。

かろうじて、「Doolin-Dalton」のインスト・バージョンと「Doolin-Dalton / Desperado」のリプライズを差し込んで、なんとか、コンセプト・アルバムとしての最低限の体裁を繕っている。

どうも、このイーグルスの2枚目のアルバム『Desperado』、コンセプト・アルバムとして、気合を入れて制作したのだが、どうにも中途半端な内容な、「意余って、力足らず」的な内容のコンセプト・アルバムに仕上がってしまった。表裏ジャケの「ドゥーリン=ドルトン・ギャング」に扮したイーグルスのメンバーも、ちょっと「やり過ぎ」感満載。

結局、このコンセプト・アルバム『Desperado』については、レコーディングとプロモーションにはかなりの労力が注がれたが、このアルバムは最初のアルバム『イーグルス・ファースト』ほどには成功せず、全米ビルボード200では41位に留まっている。
 
 
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2024年1月 4日 (木)

『イーグルス・ファースト』

1970年代前半、米国ルーツ・ロックのトレンドは「フォーク・ロック」もしくは「カントリー・ロック」。カントリー&フォークのテイストをロック・ビートに乗せる。1960年代の終わり、ウッドストック以降、ロックが音楽ビジネスとして取り上げられ始めた頃、米国ルーツ・ロックの初めとして、「フォーク・ロック」もしくは「カントリー・ロック」は流行した。

フォーク&カントリー・ロックの代表と言えば「Eagles(イーグルス)」。1971年、リンダ・ロンシュタットのバックバンド(Linda Ronstadt & Her Band)の編成のために、名うてのミュージシャンが集められた後、このバックバンドが独立しデビュー、米国西海岸ロックの雄でありながら、世界的レベルの成功を収めた伝説のロックバンドである。

彼らの当初の個性は、ファースト盤を聴けば良く判る。そのファースト盤とは『Eagles』(写真)。邦題『イーグルス・ファースト』。1972年6月のリリース。ちなみにパーソネルは、Glenn Frey (vo, g), Don Henley (vo, ds), Bernie Leadon (vo, g, banjo), Randy Meisner (vo, b)。今から振り返れば、米国西海岸ロックの伝説のメンバーである。
 

Eagles_first

 
冒頭の「Take It Easy」は、ジャクソン・ブラウンとグレン・フライの共作。バーニー・レドンの奏でるバンジョーとスティール・ギターが絶妙なカントリー・テイストを醸し出し、この楽曲をカントリー・ロックの名曲たらしめている。この曲、実は前奏からカントリー・フレーバー満載で、ロックビートとの絶妙なバランスが素晴らしい。

が、2曲目の「Witchy Woman」から、ハードロックなテイストが入り込んでくる。3曲目の「Chug All Night」などは、ライトなハードロックという印象。イーグルスというバンド、活動初期から中盤までのヒット曲は「フォーク&カントリー・ロック」のテイストを前面に押し出しているが、実は結構「ハードロック」な要素を好みとしている。僕達は当時「カントリー・ハード・ロック」と呼んでいた位だ。

この「ハードロック」な要素を前面に押し出した名作が『Hotel California』。この盤に至っては「フォーク&カントリー・ロック」な要素は完全に後退している。が、このファースト盤では「フォーク&カントリー・ロック」のテイスト満載、西海岸ロックの代表的バンドの当初の姿をしっかりと留めている。米国ルーツ・ロックの好盤の一枚。
 
 

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イーグルス『Hotel California』

2016年で40周年。あれから40年になるのか。リリースは、1976年12月8日。まだ、我が国ではメジャーな存在になる一歩手前の米国西海岸のバンドで、このアルバムのリリース時、暫くはそんなに話題にならなかった記憶がある。当然、後に名曲とされ、世界的に大ヒットしたタイトル曲だって、このアルバムの発売時点では、別の曲「New Kid in Town」(全米1位を獲得)がシングル・カットされていた。

Eagles『Hotel California』(写真)。1976年の作品。米国西海岸ロックの雄、イーグルスの5作目のアルバム。前作、1975年6月リリースの『One of These Nights(呪われた夜)』が、イーグルスのアルバムとして初めて、加えて、1976年2月リリースの『Their Greatest Hits 1971-1975』も続いて、全米No1ヒットを獲得し(確かにこの2枚は良かった)、米国では次作への期待が高まる中でのリリースであった。

日本ではあんまり盛り上がっていなかったと記憶している。まだまだ、米国西海岸ロックはマイナーな存在で、僕は当時、高校生で、1976年の夏は、この『呪われた夜』や『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』を聴きまくっていたんだが、周りのロック小僧から、変わり者扱いされたことを覚えている。そんな環境での、この『ホテル・カリフォルニア』のリリースである。当時、意外と地味であった。

最初はアルバムを買わなかった。FM大阪の人気音楽番組「ビート・オン・プラザ」で全曲エアチェック出来た。1976年12月と言えば、僕は高校3年生、大学受験まっしぐら。ではあるが、高校時代、遊びに遊んだので「浪人確定」の状態で、精神的にドップリ暗くなっての初『ホテル・カリフォルニア』であった。そして、聴いてビックリ。ハードなロックな雰囲気がメイン。それまでのフォーク・ロックな雰囲気は大きく後退していた。
 

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本作から加入したギタリスト、ジョー・ウォルシュの影響が大きいとされる。が、恐らく、リーダーのグレン・フライの意向が強く働いたのだろう。しかし、これでは売れるかもしれないが、他のロック・バンドにも出来る音世界であり、イーグルスの個性が急速に希薄になった印象を受けた。しかしながら、収録された曲はどれもが出来が良く、キャッチャーな内容で、この盤は売れるだろうな〜、と思った。

以前からのフォーク・ロックな雰囲気の曲もあるにはある。先にシングル・カットされた(全米1位を獲得している)、唯一J.D. サウザーが絡んだ「New Kid in Town」と、皮肉にも、ジョー・ウォルシュの作である「Pretty Maids All in a Row」、そして、この後、バンドを脱退するランディ・マイズナー作の「Try and Love Again」の3曲。僕はこの3曲が大好きで、この3曲の存在が故に、この3曲を楽しみに、今でもこの『ホテル・カリフォルニア』を聴き直す位だ。

ヘンリー&フライの楽曲は全て、ハード・ロックなテイスト曲ばかり。それでも出来は良い。その最たる曲が冒頭のタイトル曲「Hotel California」である。印象的なアルペジオと異常に長い前奏が印象的なハード・テイストのロック・ナンバー。当時、この曲だけを聴けば、イーグルスの曲とは思わないだろう。この曲が追加でシングル・カットされて売れに売れた。でもねえ、僕は当時、あんまり好きじゃなかったなあ。

そんな『ホテル・カリフォルニア』が発売されて40年。この盤は米国西海岸ロックの名盤として、その地位を不動のものとした。しかし、この盤のハードなロックテイストへの転身が、イーグルスというバンドの個性をそぎ落とし、袋小路に陥る。次作『ロングラン』を苦しみ抜いてリリースした後、イーグルスは空中分解する。振り返れば、この『ホテル・カリフォルニア』は、イーグルスの最後の輝きであった。
 
 

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イーグルス『Their Greatest Hits 1971-1975』

「カントリー・ロック」を掘り下げている。今日は、カントリー・ロック最大の売上を誇るバンド「Eagles(イーグルス)」について語りたい。個人的にも、高校時代、ウェストコースト・ロックの中で、一番のお気に入りバンドがこの「イーグルス」だった。

イーグルスは1971年にデビューした米国のカントリー・ロックを代表するバンド。トータルセールスは1億2000万枚を超えるそうで、カントリー・ロックの中で、一番、商業的成功を収めたバンドであろう。カントリー・ロック色が強かった時期は、1971年の結成時から、1974年のサード盤『オン・ザ・ボーダー』までとされる。

音楽的には、グラム・パーソンズの様に、カントリー・ミュージックをそのままロックに置き換えたというよりは、フォーク・ロックをベースにカントリー・ミュージックの要素を融合させたアプローチで、パーソンズの場合、カントリーとロックが対等な感じなんですが、イーグルスの場合は、カントリーとロックの比率が「3:7」の割合で、ロック色が強いのが特徴。
 
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Eagles『Their Greatest Hits 1971-1975』(写真左)。1976年2月のリリース。イーグルスの初期の頃の音は、バンジョー、スティール・ギター、マンドリンのサウンドを効果的に取り入れていて、この部分が「カントリー・ロック」の雰囲気を色濃いものにしていた。そんなカントリー・ロック期のイーグルスを手っ取り早く感じることが出来る、優れものなベスト盤である。

ちょうどイーグルスがカントリ−・ロックから入って、ロック色が強くなるまでの期間を網羅しているベスト盤。カントリー・ロックなイーグルスがヒット曲やキャッチャーな曲を通して、手っ取り早く体感出来る。バーズやパーソンズよりもフォーク・ロック色が強いことが良く判る。よりロック・ファンに訴求する音作りで、イーグルスは一躍、人気バンドとなった。

イーグルスのベスト盤はその後、オールタイム・ベストなども幾つか発売されてはいるが、カントリー・ロックを代表するバンドとしてのイーグルスを体感出来るベスト盤としては、この『Their Greatest Hits 1971-1975』が最適だろう。

何を隠そう、この僕も、このグレイテスト・ヒットを聴いて、プログレから米国ルーツ・ロックへ宗旨替えをした。それは1976年3月、早春の出来事であった。
 
 

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イーグルス『On the Border』

ジャズを聴き続けると、ちょっと耳が疲れてしまう時がある。特にハードなジャズ、例えばフリージャズや自由度の限り無く高いモーダルなジャズなどを5〜6枚聴き続けると、ちょっと耳を休めたくなる時がある。そんな時には「ジャズの合間の耳休め盤」と称して、大概、70年代ロックを聴くことにしている。

選盤は大体、ジャズのアルバムを聴く合間の「ジャズの合間の耳休め盤」なので、ジャズの雰囲気をそこはかとなく宿したフュージョンっぽい盤であるとか、インスト中心のプログレッシブ・ロック盤になる。あと、米国ルーツ・ロックもよく選ぶ。米国西海岸ロックなんかも、この米国ルーツ・ロックの一種として選盤する。

Eagles『On the Border』(写真左)。イーグルスが1974年に発表した3枚目のオリジナル盤である。僕がこの盤に出会ったのは1976年。高校の中で、米国西海岸ロックを聴く人間ってまだまだ少ない時代で、通な連中と一目置かれたり、変な奴らとして距離を置かれたり(笑)。
 

On_the_border_4

 
さて、この『On the Border』、イーグルスの音楽性の全てがバランス良く詰まった好盤である。もともと、イーグルスは、カントリー&フォーク・ロックを軸としたサウンドが「売り」。しかしながら、カントリー&フォーク・ロックに傾いたバンド・サウンドについて、もう少しハードな楽曲を織り交ぜて、音楽性の全体バランスを「ほど良く」取ろうとした。その成果がこのアルバムである。

米国西海岸ロックの一つの頂点の様なアルバム内容で、イーグルスのアルバムの中では、僕はこの『On the Border』と次作『One of These Nights』をよく聴く。ライトで爽やか感のあるカントリー・ロックから、ちょっと重厚でヘビーなハード・ロックまで、実にバランスの良い楽曲が並んでいる。これが実に良い。これが実に聴き応えがある。

ハードな楽曲とフォーキーな楽曲が相まって、ジャズの合間の耳休めに程良い塩梅。そして、ラストはかの名曲「Best of My Love(我が愛の至上)」。イーグルス・サウンドの軸となっていたカントリー&フォーク・ロックをベースとした名バラード。これは絶品で、思わずウットリしながら、この盤を聴き終えて「ジャズの合間の耳休め」は完了するのだ。
 
 

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イーグルス『The Long Run』

イーグルスと言えば、米国西海岸ロックの代表的バンドのひとつ。一般的には、イーグルスと言えば、やはり『Hotel California』というアルバムを連想される方が大多数だろう。

このアルバムは非常に罪作りなアルバムで、ロックの限界と終焉を示したアルバムとして位置づけられている。しかし、このアルバムは、耳障りの良い、脳天気な「フォーク・ロックな音」から、AORを意識した、ハードでアーバンな音を内包した「大人のロック」に転身しようとしたアルバムであり、歌詞の内容があまりに「大人」だった為に、伝説のロック・アルバムとして祭り上げられた「きらい」がある。

「ホテル・カルフォルニア」という曲が、シングル・カットされたのは、当初、日本の話で(歌詞が英語で、歌詞の内容がよく判らないまま、曲の雰囲気だけを重視する日本ならではの仕業だけど・・・・)、アルバムがリリースされてから半年も後の話。遅れて、米国でもシングル・カットされて、これが大ヒットとなる訳だけど、歌詞の内容からして、はたして、イーグルスにとって、米国にとってよかったことなのか、今でも疑問を感じる。

まあ、日本では、英語の歌詞が判らないから、そんなことお構いなしで、ガンガン売れたが、なんだか、こんなところに日本の音楽産業の貧しさと卑しさが見え隠れして、当時、なんだか、いや〜な感じを抱いたのを覚えている。

恐らく、イーグルスのメンバーからすると、恐らく、ロックの限界と終焉を示そうとして作ったアルバムでは無かったと思うが、これが、メンバーの意図しないところで、伝説のロック・アルバムとして祭り上げられ、その売上たるや莫大なものになる。当然、世の中から、次のアルバムに過大な期待がかかる。

Eagles『The Long Run』(写真左)。1979年の作品。相当なプレッシャーだったと思う。『Hotel California』後、3年間の時間が経過して、やっとリリースされたアルバム。このアルバムはひどかった。アルバムのA面に針を落とした瞬間から「???」。
 

The_long_run

 
ゆるゆるなギター、中途半端なリズム、贅肉だらけのコーラス。当時、人間って豊かになるとこうなるのか、と唖然としたものだが、豊かになったから、ということでは無く、バンドとして音作りの方向性が見いだせなくなった、ということだろう。

とにかく、この『The Long Run』がリリースされた1979年、1960年代後半から積み上げられてきた「ロック」というジャンルは、既に、その精神、方向性を見失い、崩壊していたのだろう。とにかく、いいところを見いだそうとしても、それを上回る問題点が見えてしまうわけで、当時、大いに評価に困ったものだ。

『The Long Run』に収録された楽曲を見渡しても、ほどんど、本来のイーグルスらしいナンバーは無い。カリフォルニアを感じられる米国西海岸ロックの爽快感、疾走感は全く感じられない。ダークでアーバンなAORならではの官能美だけが見え隠れする楽曲が多い。この『The Long Run』での音作りは、もはや従来からのイーグルスの音ではない。

といって、新しいイーグルスの音として、何かが新しく生まれている訳では無い。イーグルスにとって、このアルバムがオリジナル・アルバムの最後、というのが、痛いほど感じる事が出来る、気怠く退廃的な雰囲気が充満している。さすがに、そこそこの完成度は維持しているんだが、イーグルスのアルバムとしては評価するのは、かなり苦しい内容だ。1979年という時代のイーグルスとしての歴史的事実としての価値はあるとは思うが・・・。

そんな中でも、「I Can't Tell You Why」「Heartache Tonight」の2曲は、アーバンなAORとして秀逸なナンバーだとは思う。そして、物悲しいのはラストの「The Sad Cafe」。「The Sad Cafe」とは、ロスはハリウッドのライブ・ハウス「トルバドール」のこと。イーグルスが、米国西海岸ロックが生まれ育った「ホームグラウンド」の終焉を悲しく歌い上げている。

その後、イーグルスは、これまた、ひどい内容のライブ・アルバムをリリースし、文字どおり、「ひとりでズッコケて、ひとりで解散していった」のである。1982年5月正式に解散が発表される。
 
 

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